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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その4)
アファイア神殿の遺跡
   

(アファイア神殿)

 バスで山を登っていくと、突然視界が開けアファイア神殿が姿をみせる。この神殿は、紀元前48年頃、アルカイック期の最後の時代に建てられた神殿であり、保存状態が極めてよい。

 この神殿の領域は、金網フェンスで囲まれ、国が保護する管理地域である。これは入場料が必要という意味もあるが、川島先生いわく伊勢神宮にも似た神域であることを感じるとのこと。確かに、こうした神域には洋の東西を問わずに共通点があるような気がする。さて、神域に入っていくと、早速川島先生の講義が始まる。

 アファイア神殿は、アルカイック後期の典型的な神殿であり、極めて保存状態がよいので、内部構造がよくわかるとのことだ。そして、発掘したのは、フルトヴェングラー。ドイツ人の考古学者であり、指揮者で有名なフルトヴェグラーの父親に当たる。ヨーロッパ貴族にとって考古学とは非常に名誉ある職業であり、子供も一時考古学を目指したが、音楽の才能があり指揮者になったとのことだ。

 柱はドーリア式。柱頭に飾りをつけるコリント式と比べるとシンプルで飾りがない。エンタルシスであるが、ローマ時代のエンタルシスとは異なり、一番下が一番太く、そこから微妙な曲線を描いて上方向に柱がすぼんでいく。ここの柱はこの島でとれる石灰岩の一枚岩でできている。全体として非常に力強い意匠である。

 一番外側を円柱が列をなして取り囲むが、その内側には壁がある。逆に言えば、壁の外側に列柱を立てるのが神殿形式。普通の建物には壁の外には列柱をつけない。この宮殿の高さは10メートル程度あるようみえる。この高さを外の柱は1本でささえるが、内側は二階構造であり、短めの柱が二重に天井を支えている。
 
 アフィア神殿遺跡を東正面から眺める。非常によく保存されているのがわかる。
 
 
 横から見ると、内側が2階建て(左上部分参照)になっているのがよく分かる。

 この神殿は正確に東西南北に建設され、東が正面となっている。キリスト教寺院では内部に入って神体(キリスト像など)と対面するが、古代ギリシャの神殿の場合は、参拝者が神殿外部にたって、東側の入り口から神殿に礼拝するのが原則だ。どちらかというと、日本の神社仏閣の参拝の様式とよく似ている。

 川島先生が、神殿内の一角で、一段掘り下げられた場所を指し示す。より低い場所にあるということは、遺跡の神殿が建てられた時代よりも古い時代の遺跡であることを意味するが、遺跡の神殿と建てられた方向の線がそろっていない。つまり、東西南北ではなく、別の方向を向いていたより古い神殿があったことを意味する。

 実は、この過去の神殿の建てられた方向をずっと延長すると、この地域で最も高い山がある。川島先生の考えによると、この山が神体であり、この山を祀るために神殿が建立されたのではないかということであった。川島先生は、こうしたことを推定するのが、考古学の第一歩だという。日本の神社のご神体の考え方に近い推察であり、川島説が本当に当たっているのかどうか、非常に興味がある。

 
みんなで記念撮影
 
 
   
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