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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その8)
3日目:アクロポリス・ミュージアム
   
(アクロポリス・ミュージアム見学)

 2009年にオープンしたばかりのアクロポリス博物館は、私たちの泊まったヘリディオン・ホテルの隣にあった。したがって、8:30出発であるが、ホテルを出て隣のビルまで歩くだけである。
 博物館は、8:30にオープン。私たちは一番乗りに近い。この博物館はすぐに混むため、朝一番で行くことが望ましい。

 非常に近代的でモダンな作りの博物館である。この博物館の建設中にもその敷地から遺跡が発見されているため、高床式的に作り、床板を強化ガラスで敷くことにより訪問者が過去の遺跡も見ることができるようにしてある。


(アクロポリス・ミュージアムの特徴)

 この博物館の特徴は、最上階である4階の構造にある。ここにアクロポリス神殿の彫刻を神殿に飾ってあったように再現して展示し、内側からと外側からの双方から見ることができるようにしているのである。ロンドンの大英博物館にアクアポリスのレリーフがエルギン・マーブルとして展示されている。ギリシャ政府はこれを返還するように英国に要求しており、こうしたレリーフが返還された場合の受け皿となるのが、このアクロポリス博物館である。

 博物館に入ると、土器、彫刻などが古い時期から展示されている。彫像は、まず、アルカイック時代のものが並んでいる。例の薄笑いを張り付けたような表情のものだ。しかし、紀元前580年頃にどのような改革があったのかわからないが、この後の古典期では、表情が生き生きとし、動きのあるポーズをとった立像が出るようになった。この時期の彫像の多くは、サイズが小さめであることに特徴があるように思われた。大理石像にまじって2,3体だけブロンズ像があったのが、目を引いた。

 1,2階は、彫像や坪など個別の美術品の展示であるが、3階は食堂やユーティリティ・スペースになっている。そして、4階こそが、この美術館の一番のうりだ。すなわち、パルテノン神殿より一回り大きな床面積を持つこの美術館は、4階の中にパルテノン神殿の外壁を再現し、ぐるっと一周しながらレリーフを見ることができようになっている。

 パルテノン神殿の一番外側の列柱はドーリア式建築であるが、内側の列柱はイオニア式の様式であり、二重のレリーフを持つ複合的な建物になっている。柱列の上部、外壁をとりまく形で、彫刻群が設置されている。ドーリア様式のレリーフは、断続式に要所要所に彫刻がほどこされるが、内側のイオニア式のレリーフは、絵巻物のように連続して設置されることになる。

 このレリーフは、大部分が大英博物館など世界中に散逸しているが、散逸した部分を石膏のレプリカで表示し、現在アクロポリス美術館が所蔵している本物とつなぎ合わせた形で展示している。その上でそのレプリカ部分がどこの美術館の所蔵となっているかもあわせた形で展示している。ギリシャ政府はエルギン・マーブルを始め、世界中に散逸したレリーフの返還運動を展開している。この博物館の展示法は、本物が返還された場合は、石膏のレプリカを本物で置き換えるということを意味しており、返還運動の強烈なアピールとしてこの博物館を新設したことが理解できる。

 パルテノン神殿のレリーフが2重構造になっていることは紹介したが、内側のレリーフは、乙女たちが織ったアテナイ女神の衣を奉納する行列を表す一大絵巻という一つの統一されたテーマで装飾がほどこされている。正面が東であるが、この行列は北西角から出発する。そこから西面、南面をとおって南東の角に到達する行列と、北面、東面を通る行列を表現している。神殿に神ではなく市民を描くというのは革新的なアイデアであった。理想化された市民像が描かれた民主主義時代のアテネを象徴するレリーフといえよう。

 パルテノン神殿は、当時の一級の彫刻家フェイディアスによって建立され、かつ、今は失われた黄金と象牙でできたアテナイ像とともに、こうしたレリーフもフェイディアスによって作られた。工房という形でフェイディアスとその弟子によるものである。レリーフの中でもフェイディアス本人が彫り上げたとされる馬は、血管も浮き出て、今にも動き出しそうであり、ひときわビビッドであった。

 こうしたレリーフ類を間近で見ることができるようになったアクロポリス博物館は展示場としても非常に優れていると感じた。

 ということで、非常に満足したアクロポリス博物館見学であったが、写真撮影が禁止というのは非常にもったいないことである。ギリシャのほかの多くの博物館ではフラッシュは禁止だが、写真撮影は原則OKの場所が多いからである。

 
 
アクロポリス・ミュージアムは、アクロポリスの真下にあるので、
博物館のガラス窓からパルテノン神殿もよく見える
 
 アクロポリスから見ると、円形のディオニュソス劇場の向こうに
アクロポリス・ミュージアムがある。

(パルテノン神殿の破壊とエルギンマーブルの持ち去り

 さて、ここでパルテノン神殿の破壊とエルギン・マーブルの逸話について紹介しておきたい。

 ギリシャは、15世紀にローマ帝国の滅亡に伴いオスマン・トルコの支配地となったが、ギリシャはキリスト教による回復運動の対象となっていた。1687年にヴェネチア共和国が、トルコ占領下のアテネを攻撃した際に、トルコ軍はパルテノン神殿を弾薬庫として立てこもった。この戦いの際に、ヴェネチア軍の砲弾がパルテノン神殿を直撃し、神殿は弾薬ごと爆発を起こし、崩壊した。それが現在のパルテノン神殿の破壊された姿の原因である。

 その後、1801年に駐ギリシャの英国大使であったエルギン卿が、ギリシャを支配していたトルコ政府の許可をえて砕け散ったパルテノン神殿の飾りであったレリーフを英国へ移送することにした。何の興味も関心も持たなかったトルコ政府は無償でこれらのレリーフを持ち去ることを許可したそうだ。このことが、現在の大英博物館の一番の収蔵品であるエルギン・マーブルの起源だという。回教徒が偶像崇拝を禁止しているとはいえ、人類の宝といえるエルギン・マーブルをそんなにやすやすと持ち出すことを許したことは、とても理解しがたい行為である。

 
 柱の上と柱の内側にあるレリーフ。これは、もちろんレプリカ。
 
 
   
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