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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その13)
アルゴスのヘラ神殿(ヘライオン)
   

(朝の散歩)

 川島ツアーは、まず、ナフプリオの港の散策から始まった。

 前日の夜に歩き回ったが、やはり太陽の光の中で見る町の姿は大きく違う。明るいエーゲ海の港町だ。

 港の目の先に城壁に囲まれた小さな島が見える。これは、ブルジイ島といい、ヴェネツィア人がトルコからの防衛のため要塞化した島である。ナフプリオは、古代から中世にかけて、ギリシャ→ローマ帝国→東ローマ帝国→オスマン・トルコ→ヴェネツィアと支配者が次々に代わり、13世紀以降はトルコとヴェネツィアの争奪戦の対象となった。ヴェネツィアが要塞を作ったが、そこが陥落してトルコのものになったり、またそれをヴェネツィアが奪い返すなど、ナフプリオの歴史は複雑なのだ。

 このブルジイ島は、独立後は刑務所に使われたが、現在ではホテルになっており、泊まることもできるようだ。この要塞島をバックにみんなで写真をとった。


 
ブルジイ島の要塞
 

(アルゴス・ヘラ神殿)

 ナフプリオとアルゴスを中心とするこの地域は、アルゴス地域と呼ばれる。

 ペロポネス戦争が終了してギリシャ全土が疲弊した折には、アテネ、スパルタ、アルゴス、テーバイの4地域が割拠した時代もあったように、古代はアルゴスの町が中心地の一つであった。しかし、ギリシャ独立の際には、ナフプリオに首都19が置かれ、ここの憲法広場で憲法が公布されたように、現在このアルゴス地域では、アルゴスの町よりもナフプリオが政治的にも観光的にも中心地になっている。

 アルゴスの町の守護神は、ヘラであった。アルゴスのヘラの神殿(ヘライオン)は町中ではなく、町から少し外れた山の中腹にあった。この地は、古代から神殿が置かれた神域であった。

 川島先生に率いられた一行は、アルゴスの町やその上にあるアルゴスのアクロポリスを横目で見ながらバスで20分ほど走り、アルゴスのヘライオンに到着した。こうした神域は金網で囲まれた保護地域になっており、国が管理している。アルゴスのヘライオンは入場料は無料だった。私たち以外には1組しか訪問者がいない。

 小高い丘の上に位置するこの神殿の遺跡は、3段のテラス構造になっている。一番上に位置するテラスには、古代の木造の神殿が建立されていた。しかし、この神殿はなぜか放棄され、一段低い二番目のテラスに石作りの神殿が建立された。列柱自体は残されていないが、列柱が置かれた跡に基石は残されている。一番下のテラスには宴会場の跡地が残っている。遺構から判断して、中庭を有してそれを取り囲む形で部屋が配置され、そこで饗宴(シンポジオン)が開かれていたものと思われる。

 川島先生は、このヘラ神殿を巡る次のような縁起物語をしてくれた。

 ヘロドトスの「歴史」の中で、ギリシャ7賢人の一人ソロンが栄華を極めた大帝国リディアのクロイソス王20に呼ばれて「この世界で一番幸せな人物は誰か」と聞かれ、一番目にテロスを、二番目にクレオビスとビトンの兄弟をあげた話だ。クレオビスとビトン兄弟の話とは、ヘラ宮殿に母親を連れて行くため、牛車に牛がいなかったため自分たちが牛の代わりに10キロ近い道のりを車を引いて母親の神殿参拝を実現した兄弟のことだ。この兄弟は親孝行のほまれとしてヘラ神殿の饗宴に招かれ、そこで母親がヘラに兄弟の栄誉をたたえるようお祈りしたところ、この兄弟は眠りから覚めることがなかった(ヘラは兄弟を天に召した)ということだ。

 現代からすれば、なぜ死を与えることが栄誉をたたえることになるのか分からないが、当時は、栄誉の絶頂で死ぬことは名誉とされたという死生観の違いがあるようだ。

 ヘラ神殿跡地、および饗宴が行われた場所の跡地などを見て回ったが、石積みが残り、柱の痕跡が残っているだけである。

 このヘライオンには訪問者はほとんどいない。川島先生はなぜこのヘライオンに人が来ないのか分からないとぼやいていたが、大きな石柱が立っていないので、あまりスペキュタクルでないことが原因ではないかと思う。なぜ柱がないかというと、このヘライオンの建立期は石の柱ではなく、木柱が使われたことも原因の一つである。

 
アルゴスのヘライオン
 
 
 
   
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