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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その21)
オリンピア遺跡(世界遺産)
   

(聖地オリンピアの訪問)

 オリンピアは、小さな町であるが、ゼウス神が祀られており、かつ、ゼウス神への奉納のスポーツ競技会には全ギリシャから参加するなど、宗教的な中心地であった。この競技会が古代オリンピックである。4年に1回のオリンピックが開かれることになると、オリンピアから伝令が各国に行く、そして戦争を中断するよう命令を行い、各国はこれを遵守したそうだ。それほどの権威をこの地域は持っていた。

 このオリンピアの神殿は、ヘラ神殿とゼウス神殿に分かれているが、元来は2つの神が合祀されていた神殿であった。ヘラ神殿からゼウス神殿が分かれ、より大きなゼウス神殿の中には、象牙と黄金でできたゼウス像がおかれていたという。

 このゼウス像は、前5世紀を代表する芸術家フィディウスの作品であった。フェイディアスの工房もオリンパスに置かれていたそうだ。「私はフェイディアスのもの(フェイディアス所有物との意)」と書かれたカップが出土したのが展示されていた。ここのゼウス像は、ビサンチン時代にコンスタンチーノープルに持ち去られ、その後喪失したので現在は残っていない。フェイディアスは、パルテノンを建設したのだから、当然アテネにいたのではないかと思っていたので少し混乱する28。

 オリンピアを訪問した日にはクルーズ観光客が来るとの情報があった。クルーズ観光客はバス何台も連ねて怒濤のように押し寄せ去っていく。この団体と同じ時に見学すると大変な混雑となり、ゆっくり見学できなくなる。このため、最初に混雑が予想される美術館をクルーズ客の来ないうちに見学することした。

 この美術館には、ゼウス神殿の外壁を飾っていたレリーズが展示されている。これらは、ドイツ発掘団の成果でもある。

 この美術館のもっとも重要な展示品は、ゼウス神殿の外壁を飾っていたレリーズであろう。東側はゼウスと、ギリシャの英雄ペロプスと王女が結婚した物語があり、西側には、アポロン、テーセウスをモチーフとしたレリーズとなっている。

 最初に完成したレリーズは東側であり、紀元前470年に作成されたものである。オイノマス王とペロプスの物語が描かれ、その真ん中にゼウスが配置されている。

 このオイノマス王とペロプスの物語とは、オリンパスのピサ王オイノマオスには、美しい娘ヒッポダメイアがいたが、この娘と結婚する者によってオイノマオス王は殺されるであろうとの神託があった。このため、オイノマオスは、求婚者が現れるたびに、もしも求婚者が勝てば結婚を許すが、負けた場合は命をもらうという条件で、馬車競技を行った。オイノマオスには父であるアレス神からもらった早い馬を持ち、かつ、ヘルメス神の息子ミュルティロスが御者をしていたため、負けることがなかった。しかし、最後の求婚者であったペロプスは、ポセイドン神からもらった早い馬で対抗したため、競馬勝負に勝利してヒッポダメイアを妻にして王位につくことができたというもの。このペロプスは、ペルポネス半島の名前の由来となるギリシャの英雄であり、ミケーネのアガメムノン王の祖父にあたることになる。この物語を背景にして、ゼウスを真ん中にしたブリーズが作られている。

 一方、ペロプスは、オリンパスでは英雄であるが、アテナでは別の解釈もされている。悲劇作家アイスキュロスによると、ペロプスがオイノマオス王に勝利したのは、王の御者ミュルティロスを買収したからだが、この王の御者をもペロプスはその後暗殺し、その呪いにより、ペロプス王朝はその後代々悲惨な運命をたどるという伏線になっている。これがペロプスの子孫であるアガメムノン、エレクトラ、メディアなどの悲劇の題材につながっている。

 ともあれ、ペロプスはオリンパスの英雄であり、ペロプス墳墓の上にオリンパスのゼウス神殿の基礎が築かれている。私たちは、美術館を見た後、神域も訪問した。今は跡形もないが、ペロプスの墓であった辺りを歩き回ってみた。

 
ゼウス神殿東の破風
ゼウスが中心でペロプス右
 

 
 西の破風はダイナミック
アポロンとテーセウス


 
 古典期の傑作
ヘルメス像


 
 オリンピック採火
ヘラ神殿で行われる

(オリンピア古代競技場跡で競争)

 オリンピア神殿には、古代の競技場跡が残されている。従来は神域の中に設置されていたのだが、その後神域の外に置かれるようになった。ヘラ神殿をとおり、さらに先にある。観客席は馬蹄型。形は、アテネでみたオリンピック競技場によく似ている。しかし、観客席は石造りではなく、すり鉢状に盛り上げられた芝生となっている。

 川島先生は、オリンパスの競技場では走ると前日から宣言していたように、競技場を使ってみんなで徒競走することになった。競技場は、一般観光客もフィールドに入ることができるのだ。

 端に白い石でゴールラインが描かれている。そして、192メートル離れた場所にも、もう一本白い石で線が描かれている。これが、スタートラインである。この間が1スタディアムと呼ぶ長さの単位となるようだ。

 ガイドのアンナの合図でみんな一斉に駆け出す。男性で一番若い私が当然に一番になると思って参加したのだが、女の子でもすごく早いのがいる。川島先生も早い。30人が一斉に本気で走っているのを見て、他の観光客も声援を送ってくれる。結局、私は10位程度、川島先生は5位だった。若い女の子に囲まれて過ごす大学の先生とは肉体的にも若いのであろうと、変なところで感心する。

 192メートルというのは、競技として走るのにはちょうど良い距離であると思う。また、やり投げ、円盤投げなども行われたとのことであるから、投げたヤリなどが観客席に飛び込まないという意味でも良い距離だと思う。

 川島ツアーの走りに触発され、他の観光客の集団も同じように競争を始めた。女子学生も一生懸命に声援していたが、一番の関心事は、イケメンの男性がどれだけいるかという点だったようだ。

 このオリンピア競技場の競技には、フィリポ2世もアレキサンダーを伴って参加したという。マケドニアという国は、ギリシャの一部であり、アレキサンダー大王もギリシャ人であるから、当然オリンピックに参加することができる。なお、彼が競技で勝ったという記録は残っていないとのことだ。

 
 
 古代競技場でかけっこ
 
 
 
   
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