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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その23)
デルポイ遺跡
   
ギリシャ旅行も7日目である。

(デルフィ神殿の遺跡)

 この日泊まった「アクロポール・ホテル」は中級ホテルであるせいか、朝食も必要最低限という形であった。朝の時点でまだバスの修復の情報はなく、少々不安のまま、歩いてデルフィ遺跡に行くこととなった。

 ホテルから遺跡までは徒歩15分程度であり、距離的には問題はなかったのだが、この日は気温が低く、小雨がぱらつく。非常に風が強く、体感温度は零度以下であった。女の子たちは相変わらずミニスカート姿だ。レギンスははいているのだが、とても寒そうであり、よくこんな格好であるいているなと驚くぐらいである。やはり、防寒という実用よりもカワイイという姿形を大切にするのかなと思う。

 デルフィは、現在はスキー場が設置されているパルナソナッス山の前山に位置する。非常に急峻な崖の地域だ。風雨が強くやや靄がかかっているような風景の中のデルフィを見るのも神秘的な感じがして、それはそれで情緒がある。

 デルフィに到着すると最初に博物館を訪問し、デルフィで発掘された主要な美術品の数々を見た。ちなみに、デルフィは、フランスが大規模な発掘事業を行っている。アメリカがコリントスとアクアポリス、ドイツがオリンパスというように各国がそれぞれの地域で発掘競争を繰り広げたわけである。

 デルフィ博物館の入り口近くに、へそ石が置かれている。斜めのクロスの模様を彫刻した石であり、これが世界の中心であるデルフィの象徴であった。川島先生は、この上で、巫女が神託をしたというような説明もしたいたが、よくわからなかった。

 最初の展示室には、クレタ文明下の土偶があった。したがって、アポロン信仰の前から土着の信仰の対象としてデルフィが存在していたことが伺われる。また、スフィンクスをかたどった小さな土偶や青銅器などが展示されている。さらに進むと非常に大きなスフィンクス像が現れる。これは高い円柱の上部に飾られていたものであるという。スフィンクスはエジプトだけのものではなく、地中海世界全体に広く存在する大地母神の表象であったのだろうと推測される。

 また、2,3センチと非常に小さなブロンズ製の動物が沢山展示されている。生け贄の動物の代わりにこうした人形をつかったのだろうか?何らかのまじないと関係あるのだろうのかとも思う。机の上にでも置いておけば、ちょっとしたアクセサリーとして現在でも通じるできばえの作品が多い。

 大きな2体の石像が並んでいる。アルカイック期のものであるが、この石像はクレオビスとビトンの兄弟像であることが判明している。アルゴスのヘライオン(ヘラ神殿)を訪問した時に、説明を聞いた例の兄弟である。賢者ソロンが、世界で二番目に幸せであったと名指しした人物である。母親を牛車に乗せて牛の代わりに牛車を引いた兄弟で、栄光の中で神に召され死んでいったという。この像自体はBC580年に奉納されたとされている。

 また、アテネの宝物湖の上を飾っていたとされるレリーズが飾られている。このアテネの宝物湖はマラトンの戦いで勝利したアテネが寄進したものであるという。アテネの英雄であるテーセスの一連の物語をテーマとしている。

 最後の部屋に飾られているこの博物館の最高の展示物は、御者の像である。BC480年頃の作品で、最初の古典期の彫刻である。ブロンズ製。これはシシリー島の僭主ポリザロスが、戦車の競技に優勝したことを記念して作らせたものである。御者は僭主自身ではない。御者の若者は実にゆったりとした形で、手綱を握った手を前に出しつつ、すくっと立ち前を見据えて馬を操っている。着衣である。したがって体の線はあまり出ていないが、足の配置を含め、実にバランスがよい。古典期の幕開けを宣言するのにふさわしい作品ということができよう。

 
 これがへそ石

 
 クレオビスとビトンの像

 
 御者の像

(デルフィ遺跡)

 博物館をでて、デルフィの参拝道を上っていく。この地域は19世紀末までは民家が建っていたようだが、フランス発掘隊が代替の土地を与えて民家を移住させ、発掘作業を進めたとのこと。

 当時の参拝道にそって左右に寄進された像や宝物庫がところ狭しと並んでいる。石碑には碑文が刻まれており、ギリシャ古代史の貴重な資料となっている。ちなみに、この碑文だけを集めた出版物が研究者用に発行されているという。

 宝物庫の中で最も目を引くのは、「アテネの宝物庫」である。総大理石造りという点が他の宝物庫の中でも異彩を放っている。豪華である。そして、この建築物は完全に近い形で修復されている。マラトンの戦いでペルシャに勝利したことを記念して寄進されたものである。

 さらに山道を登り進むと、アポロンの神殿に出る。アポロンの神殿の基盤となる石垣は、多角形の岩を非常に精密に組み合わせてできている。精密な組み合わせは、マヤ文明を一瞬思い出すが、こちらの方が表面をみがいて平面にしているので、より近代的な印象を与える。この石積みの上にBC8世紀頃に神殿が建てられたが、ペルシャによりこの古い神殿は焼き払われ、BC6世紀に新しい神殿が建立されている。現在、このアポロ神殿は柱を数本残すだけであるが、かつての栄華をしのばせる。

 このアポロ神殿において、巫女が神がかり状態になり、アポロンからのお告げの言葉を口走ると、神官がそれを翻訳して、依頼者に伝える。この預言は、質問に直接イエスかノーで答えるのではなく、非常に曖昧で多義的な言葉で伝えられることが多かったという。オイディプス王の物語で、テーバイ王の死、オイディプス自身の呪われた運命など、神託は見事に言い当てているが、聞いた本人はそれを最初は理解することができない。

 このアポロ神殿には「汝を知れ」との文が掲げられていた。これはギリシャ哲学の基本思想でもある。これは、ソクラテスの「無知の知」に通じると思う。

 アポロン神殿の上には演劇場がある。やはり半円形のすり鉢状になった野外劇場である。デルフィでもオリンピアと同様に神に捧げる競技大会が開かれていたが、特に文芸の神であるアポロンであるから、劇や詩などのコンテストも開催されたようだ。ここで実演されたのであろう。

 小雨まじりの風も強く、あまりにも寒いので、デルフィの見学はそこそこに終了した。幸いなことに前日故障したバスの修理が完成しており、バスで近くのレストランに向かうことができた。

 
 デルポイの遺跡
 
 
 アポロン神殿跡。
 
 
 
   
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