TOP    
BACK   UP   NEXT

やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その32)
ラヴェンナのモザイク
   

(短期間ではあるが西ローマ帝国の首都であったラヴェンナ)

 一行は、一路ラヴェンナに向かう。その道中で太陽の高速道路と呼ばれるA1を通ったが、天気は悪い。アペニン山脈を越えるために700メートルの峠を通り、エミリアロマーニャ州に入っていく。この州は田舎の町が多いが、歴史的背景は古い。紀元後5世紀に一時的であるがラヴェンナはローマ帝国の首都であった。

 ローマ帝国では、ローマを中心に発展してきた国家であったが、4世紀にはミラノの勅令でキリスト教を公認したように、ローマ帝国の首都はミラノに移ってきていた。その後、5世紀にホノリウス帝が即位したが、ホノリウス帝は弱い皇帝であり、東ゴート族の侵攻をうけても断固たる反撃をすることはなかった。当時、ミラノを根拠地としてゴート族と戦うには軍事的に不利と考えられており、ローマ帝国の最大の軍事基地があったラヴェンナに首都を移すことにした。

(ガッラ・プラチディアの墓を見学)

 当時のことを勉強すると、非常に複雑なのであるが、5世紀に西ローマ帝国の首都がおかれたラヴェンナをローマ風の町に建設するのに、ホノリウス帝の異母妹であるガッラ・プラチディアの貢献が大きかった。ホノリウス帝が死去した後、後継皇帝の母親として権勢をふるったのである。このガッラ・プラチディアの墓には、非常に美しいモザイクが残されている。

 サン・ヴィターレ教会の近くにあるガッラの墓は、上から見ると十字形の建築物であり、外はレンガで固められ、全く華美ではない。しかし、中に入るとこの印象は逆転する。一面にちりばめられたモザイクが非常に美しい。このモザイクはガラス製である。金をはさんだモザイクも多用されており、初期キリスト教のモチーフが多用されている。まるで小さな教会か礼拝堂のようである。正面には、火あぶりされた聖人、聖ロレンツオの受難の風景が刻まれる。入り口のすぐ上にキリストの像が描かれている。また、天井には、パウロ、ヨハネ、マタイ、ルカという4聖人を表す動物が描かれている。非常に美しい。

 
ガッラ・プラチディアの墓
 
 
 墓の中。聖ロレンツォ

(サン・ヴィターレ教会のモザイク)

 このガッラ・プラチディアの努力にもかかわらず、西ローマ帝国は、ゲルマンの一派である東ゴート族の進入を受けて、476年に滅びてしまった。ローマ帝国の滅亡とともに、ラヴェンナの支配者は東ゴート族の王となる。一方、ローマ帝国は、ホノリウス帝の父親のテオドシウス帝の時代に東西に分割されていた。コンスタンチノープルに首都を置く東ローマ帝国は、西ローマの滅亡の後も長く存続することになる。西ローマ帝国の滅亡を目にした東ローマ帝国は、旧西ローマ帝国の領土をゴート族から取り返そうと戦争を行う。そして、6世紀のユスチニアヌス帝の時代、ラヴェンナからゴート族を追い払い、540年にラヴェンナは東ローマ帝国の支配下になり、東ローマ帝国の総督府がラヴェンナにおかれることになった。

 この時代(5,6世紀)の、初期キリスト教のヴィザンチン風のモザイクがラヴェンナに残っている。これは、東ローマ帝国の総督府が置かれた時に、コンスタンチノープルではやっていたモザイクがラヴェンナにも広まったものである。しかし、コンスタンチノープルにおいてはその後のイコン破壊運動において美しいモザイクがすべてが壊されてしまったため、初期キリスト教のヴィザンチン風のモザイクとしては世界最古のものがラヴェンナに残ることになった。

 このため、サン・ヴィターレ教会、サンタポリナーレ・インクラッセ教会、ガッラ・プラチディアの墓のモザイクを含め、こうしたビザンチン時代の建造物はユネスコの世界遺産として登録されている。

 ガッラ・プラキディアの墓のそばにあるサン・ヴィターレ教会は、548年に建築された。内部が列柱のアーチにより三つに区部される典型的なヴィザンチン様式の教会である。外部はレンガ造りであるが、内部にはモザイクにより描かれた華麗なイコンが広がっている。

 
 サン・ヴィターレ教会のモザイク
 

(ダンテの墓)

 実は、ダンテの墓は、ラヴェンナの町に存在する。

 フィレンツェを紹介した時にダンテがの法王派と皇帝派の争いにまきこまれ、フィレンツェを追放されたことを紹介した。正確に言うと、法王派の内部争いの中で追放されたということだ。タンテは、その後いくつかの都市を流れて、最終的にはラヴェンナで生涯を終えている。したがって、墓がラヴェンナに存在する。

 新古典様式で作られた大理石の大きな墓には、ダンテの横顔が刻み込まれている。フィレンツェからは、ダンテの墓を生まれ故郷であるフィレンツェに戻すように要求があるようだが、ラヴェンナの町は当然この要求に応じていない。


(サンタポリナーレ・ノヴェッラ教会)

 当初の予定にはなかったが、ラヴェンナの市内にあるサンタポリナーレ・ノヴェラ教会(聖アポリナーレ新教会)を見学した。後に述べるサンタポリナーレ・イン・クラッセ教会の兄弟教会ということなのだろう。ここにも美しいモザイクによるイコンが残されている。


 このサンビターレ教会は、一時、東ゴート族の支配下で、別のモザイクが描かれた痕跡がある。興味深いことに、東ゴート族の間にキリスト教が広まっていたからだ。モザイクには、ゴート人の王が描かれていたが、東ローマ帝国がこの地を回復した時に、その部分だけを修正した。たとえば、柱に手だけ残されており、その痕跡が分かる。

 
 ダンテの墓
 
 
 サンタポリナーレ・ノヴェッラ教会のモザイクよく見ると手だけ柱に存在。
 
   
    TOP    
BACK   UP   NEXT