TOP    
BACK   UP   NEXT

やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その35)
ヴェネチア
   

(ヴェネチアでサンマルコ教会などを見学)

 この日は、盛りだくさんなので朝早くから行動するはずだったのが、バスが遅れたので8時半にホテルを出発。15分ほど走り、港につく。ここから船で直接サンマルコ広場に向かうことになる。35人の一行なので船もチャータ便だ。私はこれまで2回ヴェネチアに来たことはあるが、いずれも鉄道でサンタルチア駅からなので非常に新鮮に感じる。25分程度の船旅であるが、海から見るヴェネチアも風情があって美しい。

 サンマルコ広場のそばの桟橋に上陸する。女子学生も興奮気味である。

 最初にサンマルコ教会を全員で訪問する。サンマルコ教会は、サンマルコ広場に面した教会で、正面に金を多用して様々な聖書の場面を描いたモザイク飾られている。非常に豪華な印象である。モザイクの多くは12世紀頃ものであるが、正面の一番の左側のものだけは9世紀までさかのぼることができるという。確かにデザインの素朴さ、素直さが他のものとは一線を画している。

 サンマルコ教会の中は撮影禁止である。この教会は名前のとおり、聖マルコに捧げれている。マルコとは、キリストの弟子で福音書を書いた4人の福音書記者の一人である。紀元後70年頃に活動した実在の人物である。彼は、キリスト教の伝道のため最終的にはエジプトのアレキサンドリアまで行き、そこで生涯を遂げたとされている。828年にヴェネチア人がアレキサンドリアから聖マルコの遺骸をヴェネチアに運び込み、守護聖人として祀ったのがこのサンマルコ教会である。
  
 なぜそんなに貴重なものをヴェネチア人がエジプトから獲得することができたのか説明はなかったが、ヴェネチアは697年から独自の統治者ドージェ(統治者)を選挙で選び共和政治を行っており、貿易で発展してきた。9世紀には軍事力を含めて実力を蓄えた都市国家となっていたのだろうと思う。この時期には、各都市は自分たちのアイデンティティを守護聖人に求め、守護聖人にまつわる聖遺物の獲得競争を行っていたので、その一環でもあったのだろう。

 ヴェネチア、11世紀には十字軍遠征で潤い、13世紀にはヴェネチア人がコンスタンチノープルを陥落させるなど、軍事面でめざましい発展をとげ、黒海の覇権を得た。そして、14世紀には東方貿易を独占し、経済的・軍事的にヨーロッパの最強国となったという。このヴェネチアの覇権は、今回の旅行だけでも、ギリシャの各地でトルコと戦うためにヴェネチアの要塞を各地でみたことからも明らかである。

 ヴェネチアは1571年のレパントの海戦でトルコを破ったことが絶頂期で、それ以降は他の列強に押され国力がどんどん低下し、1797年にナポレオンの入場で独立を失うことになる。この1000年の栄華の歴史の中で蓄積した富や数々の財宝、芸術品などが、現在の観光都市ヴェネチアの基礎となっているわけだ。

 私にとって今回3回目のヴェネチア訪問であったが、サンマルコ教会の後にはアカデミア美術館を訪問することにした。ここは、ルネッサンス後期のヴェネチア派と呼ばれる一派を中心に展示している。ベリアーニなどが著名作家である

 
 海から見たサンマルコ
 
 
 サンマルコ広場

(ヴェニスに死す)

 ヴェネチアというと様々な文学作品の舞台となっている。中でもトーマス・マンの小説に基づく、ヴィスコンティン監督の映画「ベニスに死す」が著名である。北ヨーロッパの実業家が、ベニスで美しい少年に会い、内側から崩壊していくというストーリーである。ちょうどペストが流行したころであり、イタリアの退廃的な文化を背景とした小説になっている。マンにはトニオ・クレーゲルという小説もあり、ドイツとイタリアの背反する文化を描くことが多い。

 川島先生は、ギリシャのエウリピデスの「バッカスの少女たち」をヴェネチアに移した小説が「ベニスに死す」ではないかという考え方を持っているようだ。ベニスの少年とは、実はバッカス神を示しているとのこと。もう一回映画を見てみようかという気になる。

 
 ヴェネチアの水路
 

(大人だけの昼食会)

 昼食は、ダ・カルロットという店でとった。ガイドのジャンの紹介であるが、大人5人だけの特別な昼食となった。

 最初の皿はイカの黒スミ・スパゲッティ。第二の皿が海鮮料理盛り合わせで、スカンピ、エビ、ムール貝、アサリ、ハマチ燻製、マグロ燻製、スモークサーモン、イワシのマリネなどが入っていた。そして、これらにあわせて、白ワインのジミアーノ(ヴェルナッチャ種)を飲んだ。

料理30ユーロ、ワイン20ユーロ。満足感は高かった。

 
 
 ヴェネチアの昼食
 
   
    TOP    
BACK   UP   NEXT