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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その37)
マントヴァのドゥカーレ宮殿
   

(マントヴァとは?)

 この後一行は、バスに乗って再び走り、マントヴァを訪れた。マントヴァとは、世界遺産に登録されているにもかかわらず、日本の旅行ガイドにはあまり載っていない町であり、よほどマニアックなツアーしかよらない町だと思う。

 この町は、ボー平野(アダーナ平野)にある。農業が盛んな地域であり、小麦、米、トウモロコシ、果樹など様々な農産物を生産している田園地域である。ミラノが州都のロンバルディア州に属するが、マントヴァ県の県都となっている。

 歴史を見ると、3000年前に最初にエトリア人がすんでいた。その後、ケルト人が進入してきた。その後、ローマが侵攻し、ローマ植民地となる。紀元前70年にヴェルギリウスが生まれた。ヴェルギリウスはローマに移り住み、皇帝につかえた。このため、マントヴァは、ヴェルギリウス生地として有名である。

 その後、ハンガリーやチェコに住んでいた東ゴート族が、フン族に押されて、ローマへ侵攻してきた。5世紀に西ローマ帝国が滅ぶと、その一環でマントヴァも占領される。中世には、マントヴァは自由独立都市国家であったが、やがて豪農出身のゴンザーガ家が支配するようになった。そしてゴンザーガ公国を形成したが、この地域は四方を有力国家に囲まれており、その中で独立を保持するためには大きな努力を必要とした。マントヴァの回りに湖があるが、これは防衛のために作った人造湖である。

 ゴンザーガ家は自ら傭兵集団を形成し、ヨーロッパ各国の戦争に参加し、このことにより大きな富を手にした。マントヴァは、5万人という小さな街だが、こうした歴史的背景によりマントヴァ県が成立し、マントヴァは県都になった。

 この郷土料理はトルテローリというカボチャ入りのパスタである。また、ご飯の上にトンカツをのせる料理もある。カツ丼そっくりである。

 
 マントヴァは防衛のため人工湖に囲まれている。
 

(マントヴァのドゥカーレ宮殿を訪問)

 私たち一行は、マントヴァのドゥカーレ宮殿を訪問した。ドゥカーレとは公爵という意味だからヴェネチア、ジェノヴァなど各地にドゥカーレ宮殿と呼ばれる建物はある。共和国ではドゥカーレは公選制の終身名誉職であることも多いが、このマントヴァでは、ドゥカーレ宮殿は、ゴンザーガ家の居住地であった。したがって、小国の君主である。非常に広大で3000も部屋がある。各部屋の壁や美術品もすばらしい。しかし、時間があまりにも押していたため、このドゥカーレ宮殿では、ゴンザーガ公爵の執務室兼謁見室の絵画のみの見学となった。

 この部屋には、マンテーニャの壁画が描かれている。マンテーニャはルネッサンス期の画家であるが、著名な師匠や弟子のいない孤立した存在であった。ミラノのブレラ美術館に所蔵されている「死せるキリスト」が一番有名な作品であり、十字架からおろされたキリストを足の裏側からの方から描写した迫力のある絵画となっている。

 マンテーニャはこのドゥカーレ宮殿では、宮殿内の壁画装飾を頼まれ、2年間を過ごしているようだ。公爵執務室の壁画は、この場所を天幕の中になぞらえて、天幕から外をみた風景として壁画を書いている。ゴンザーガの家族が集っている風景、息子が枢機卿になった絵ではるかにローマを望む景色がかかれた絵など、ゴンザーガ家の栄華を象徴している。また、天井のだまし絵もすばらしく、レリーフが刻まれていると見まごうばかりである。

 このマントヴァという地域やこのドゥカーレ宮殿は、日本の観光客からは忘れ去れた存在であるが、規模の大きい建物であり、すばらしい芸術品もいっぱいあるので、訪問する価値は十分になると思う。「ゴンザーガ家はフィレンツェのメディチ家にも匹敵していた」との現地ガイドの言葉が耳に残った。

 
 ドゥカーレ宮殿の外観
 

 
 
   
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