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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その38)
ヴェルギリウスの故郷
   

(ヴェルギリウスの作品とその後の評価)

 マントヴァは、前述のように、ヴェルギリウスの生地としても著名な場所である。

 ヴェルギリウスは、イタリア語ではヴェルジリオ、英語ではヴァージルと呼ばれるラテン文学の最高峰の詩人である。紀元前1世紀に活躍。ギリシャのホメロスに匹敵する詩人であるが、ヴェルギリウスは中世文学にも非常に大きな影響を与えた。たとえば、ダンテも大きな影響を受けている。

 彼の最も有名な作品は、叙事詩アエネイスであろう。アエネアスの歌という意味である。トロイア戦争で戦い、トロイア側で一人だけ生き残った人物が、アエネアスである。アエネアスとその一族だけが、落城したトロイアの中で生き残った。父親を背負って、息子の手をひいて脱出し、イタリアに逃れることになる。

 ホメロスの叙事詩は、ギリシャ側が勝利して英雄アガメムノンが帰国する物語である。オデュッセイアもオデュセウスが帰国する物語である。逆にアイネイスは、敗戦の物語であり、祖国を捨てて、見知らぬ国へと行くことになる。実は、聖書にも故郷を離れる物語があるので、両者は関係があるのかもしれない。アイネアスは、最終的には、ナポリのそばのクーマエに上陸し、ローマのそばのアルバロンガに街を築く、そして、ローマ建国の祖となる。ローマ人というのは、アエネアスの子孫ということで描かれている。

 史実をたどると、ローマ人は様々な源泉があるようで、トロイア人の末裔もローマ人の一部となっている。したがって、ある部分は歴史的事実を反映しているのかもしれない。同時に、この物語は放浪物語という意味で、オデュッセイを下敷きにしている。ローマは文化的にギリシャ文化を継承しているが、もっと以前の紀元前13世紀のトロイア戦争においても、ギリシャとローマが結びつくというのは非常におもしろい。

 アエネイスは12巻存在する。ホメロスの24巻に比べると半分である。前半は放浪の旅を扱っている。1巻でトロイアから脱出。2巻で嵐にあってチュニジア、カルタゴに上陸。女王に救われる。1世紀の筆者が紀元前13世紀の出来事として書いているが、カルタゴは、ローマの宿敵であり、このカルタゴの女王ジードにローマ人の祖先が救われる話となっている。2巻ではアエネアスがジードに対して放浪の経緯を語る形で、トロイア戦争を語る。有名な木馬の計略の話はここで詳細に出てくる話である。ホメロスではこれほど詳しく語られていない。4巻で、アエネアスとジードが恋に落ちる。しかし、運命に促されカルタゴを去ることになる。捨てられたジードは、アエネアスを呪いつつ自殺する。(これがポエニ戦争の伏線)。5巻シシリー島、6巻イタリアに到着。ここでアエネイスは、黄泉の国に降りて未来の予言を受ける(ナポリの洞窟)。物語の中の予言では、アエネアスから始まるローマの世界の予言が語られる。作者のヴェルギリスは1世紀の人間であるから、ローマのその後の歴史は当然知っている。ジュリアス・シーザーやオクタビアヌスの話しが予言という形で出てくる。シーザーが出身したユリウス家はアイネアスの息子の家系とされている。そして、ローマの歴史的使命をギリシャと比較して、世界に平和を与えることと語る。

 ヴェルギリウスには、アエメイスのほか、若い頃の田園賛美の牧歌的な詩、農業を歌った詩もある。ヴェルギリウスが若い時い頃に歌った牧歌的な詩は、アルカディアを材題にしているものの、実は、彼の出身地であるマントヴァの景色を歌ったとも言われている。

 若い頃のヴェルギリウスを支援したのは、マイケナスという人物である。実は、現在の「メセナ」という言葉は、このマイケナスという人物からきている。エトロジア人で、オクタビアヌスの宮殿に使えた大臣で、文芸作品の保護者であった。このマイケナスがヴェルギリウスも保護した。

 こうした田園賛美としては、「田園詩」第四巻が著名である。いつか黄金時代が帰ってくるというテーマである。黄金の時代、銀の時代、青銅の時代、鉄の時代と世界はどんどん悪くなってくるというイメージがあった。黄金時代のイメージは、猛獣と人間が平和に暮らすということ。この内容が、奇しくも旧約聖書のイザヤ書のイメージと一致した。このため、キリスト教の時代に誤解が起こり、ヴェルギリウスはキリストを予言していたのではないかと考えられた。このため、異教の詩人であるにもかかわらず、キリスト教世界でヴェルギリウスは特別視され、尊重された。ダンテはキリスト教世界での詩人であるが、ヴェルギリウスを師匠と見なした。

 ヴェルギリウスは未来志向だが、ギリシャは過去志向。一方、キリスト教は未来志向。このため、ヴェルギリスとキリスト教には親和性があるのかもしれない。

 
 ヴェルギリウスの像
 

(ヴェルギリウスの生誕地ヴェルジリオを訪問)

 ヴェルギリウスの生誕地は、正確に言えばマントヴァそのものではなく、近郊のピエトーレという村である。しかし、この町は改称し周辺地域と合同して「ヴェルジリオ」という名前になっている。これは、イタリア語でヴェルギリウスそのものの名前である。
 
 非常に長い前振りとなったが、私たちのツアーでは、川島先生のたっての希望により、ヴェルジリオを訪問することになった。

 大型バスが小さな村に入っていく。すると、ヴェルジリオ・パブとかかれた小さな飲み屋が道ばたにあった。ガイドのジャンが聞きに行くと、なんと近くにヴェルギリウスの記念碑があるという。このため、一同ぞろぞろと記念碑を訪れてみた。もう夕刻も過ぎ、あたりはほとんど暗くなっていたが、記念碑を発見して川島先生は大感激していた。私たち一行全員も記念碑の前で記念写真を撮影してみた。でも、こんな物好きなツアーはほかにはないと思う。

 なお、この近辺には博物館もあるようであるが、今回は訪問しなかった。

 
 ヴェルジリオの祈念碑
 

(ミラノへ)

 ヴェルジリオではほとんど日が暮れていた。ミラノに着くのは10時半になるのではないかとの話しもあったが、ともなく超特急でバスを急がせ、なんとか、9時過ぎにミラノ駅そばのミケランジェロ・ホテル54に到着することができた。

 ムッソリーニの作られせたという巨大で威圧的なミラノ駅の前をあるいて、レストランまでいく。この旅行の最後の晩餐である。出たのは、サフランをつかった黄色いリゾット、ミラノ風カツレツ(夏バージョン)だ。カツレツは骨付きでめちゃくちゃ大きい。満足感が高いディナーであった。

 
 
 ミラノ中央駅
 
   
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