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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その36)
ヴェローナ
   
(ロミオとジュリエットの街だけでないヴェローナ)

 この旅は本当に忙しい。ヴェネチアでは12:20にサンマルコと広場に集合して、船にのり、バスに乗り換えて、次の目的地であるヴェローナに向かう。

 ヴェネチアを出てしばらく走ると、ヴェローナに着く。ロミオとジュリエットの舞台として有名だが、実は、ヴェローナは古代ローマからの都市であり、世界遺産にも指定されている。

 このヴェローナは、スイスとドイツという北ヨーロッパからローマに向かう場合に必ず通る交通の要所である。紀元2世紀にローマに侵略され、ローマの町になる。紀元1世紀のアリーナ(円形劇場)が残っているが、これはローマのコロッセオと同時期の建築物である。夏にはコンサート会場になる。ヴェロナのアリーナはここでとれる石を使って作ってあるのでピンク色をしている。アンモナイトを含む石なのでこうした色となっている。

 また、シェイクスピアがロミオとジュリエットの舞台としたため有名になり、世界中の観光客はロミオとジュリエットで訪問するようになった。

 また、見本市のまちとしても著名。毎年5月にワインの見本市、ビニイタリが開催される。また、11月にはヨーロッパで1番の馬の見本市が開催される。ヴェローナはワイン産地として知られている。近くのソアヴェが有名。トウモロコシのポレンタと馬肉のシチューが名物料理。イタリアで馬肉を食べるのは珍しいが、ヴェローナでは食べる。

 ヴェローナを中世に支配したのはスカラ家。ダンテもヴェローナに滞在したが、スカラ家は支援した。

 14世紀にスカラ家のレジーナ姫がヴィスコンチ家に嫁いだ。ミラノ市民のためにサンタマリア教会を造った。サンタマリア・デル・スカラ教会という名称となった。18世紀後半にオーストリア・ハンガリー帝国が劇場を作るときに、このスカラ教会をつぶして劇場をつくることになった。この歌劇場はテアトロ・アラ・スカラと呼ばれるようになった。これがスカラ座の由来である。日本でも多くの名画座がスカラ座という名前を冠している。その起源がこの都市にあるというのは実に興味深い。

 ヴェローナでマリア・ピアという名前のふとっちょの中年女性のガイドと合流した。このガイドは、日本語が流ちょうで、かつ、ユーモアもあり、今回の旅であったガイドの中でも最高のガイドの一人であった。彼女の説明に基づいて、ヴェローナことを書いていく。

   最初に目についたのは町の真ん中にあるパルタノーヴァ(新しい門)という門である。新しいと言ってもローマ時代の門より新しいということ。昔はここから城壁が広がって町の区域に入るということだ。このパルタ・ノーヴァは一番最初は14世紀に作られ、16世紀と19世紀に修復されたとのことだ。
   このヴェローナの町は6000万年前は海の底にあった。このため、アモナイトの化石がよく出ている。紀元前1世紀にローマの3つの道が交差する町として栄える。フン族、ゲルマン族などの侵略も受けた。その後、11世紀に自由都市になる。12世紀に地震で被害を受け、石とレンガで修復された。12世紀にはロマネスク様式で作られた建物が多い。13世紀に復興した。14世紀はスカラ家支配の下で繁栄期を迎えた。皇帝派の都市として栄えた。14世紀の建物には壁の上などのに「M」形のマークがついている。14世紀は室町時代だから「M」というのは冗談であるが、これは皇帝派のシンボルであり、14世紀の建物の印でもある。15世紀にヴェネチア支配となる。重要な建物の多くは16世紀である。18世紀にナポレオンによりフランス支配になる。次いで、19世紀にオーストリア支配となる。サンピエトロ城は19世紀オーストリア時代の建物である。しかし、 イタリア統一後、現在は、典型的なイタリアの町となる。現在の人口は25万人である。

 ローマ時代は、このあたりはガビ家が支配していた。このため、ローマからの道をガビ門が飾った。ボルサリ門も紀元前49年にこの町がローマ市民権を得た頃に作られた。この町はアディジェ川の沿岸にある。パダナ平野の始まりでもある。ローマ時代に欠けられた橋が2000年たった現在も使われている。産業は、かつては、皮製品、木工製品であった。モーツアルトもベローナに住んでいた時期がある。彼がピアノコンサートを12歳で開いたのはこの町でのことである。
 という説明を聞いた後で、バスを降りて実際に町を歩いてみる。古代ローマの市場として使われた広場が現在でも町の中心にあり、様々な出店が出ている。建物も、ローマ時代の基盤の上に立てられたもの、中世につくられたもの、近代のものなど、本当にばらばらである。ある広場に案内されたが、ここには、ロマネスク、ルネッサンス、ゴシックなど建築様式の展示場のような場所であった。
 
 スカラ家の墓
 

(ジュリエットの家)

 歩いていくと、人だかりの多い場所にでた。ジュリエットの家である。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の題材になった家である。キャピレット家の紋章はその名前のとおりキャップ(ヘルメット)である。そして、ロミオがジュリエットの部屋に忍び込んだバルコニーも実際に存在する。ジュリエット像が庭にたっている。女性がこの像の左胸に触って願いことをすると、恋人と結ばれるとの言い伝えあるようで、世界各国からの観光客が記念撮影をしていた。

(スカラ家の宮殿とローマ時代のアリーナ)

 この町を語る上で重要なのは、中世の支配者スカラ家である。もともとは銀行家一族であったようだが、財をなし、権力の階段を駆け上がっていった。はしごが紋章なので上昇志向の強い一家であったのだろう。スカラ家の姫君がミラノ公爵家に嫁いで、サンタマリア・デル・スカラという教会を作った。オーストラリア支配下のミラノにおいてマリア・テレジアの命令で、その教会を取り壊して劇場を作ったのが、ミラノのスカラ座の始まりである。日本にもかつてスカラ座を名乗る映画館はよくあった。その起源がこんなところにあったのかと思うと大変興味深い。

 この町には、ローマ時代の円形競技場アリーナがほぼ完全な円形で伸されている。ローマの巨大なコロッセオと同種のたてものであり、時代も同じである。完全な円といっても外周は失われ、内周のみが残っている。ルッカでも円形競技場をみたが、ルッカの場合は商店などにリサイクル利用されていた。このヴェローナでは競技場の遺跡のまま残されている。

 
 ジュリエット像。左胸に触ると幸福になれる?
 
 アリーナ
 

 
 
   
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