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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その39)
ミラノのドゥオーモ
   

(ミラノ市内観光)

 ミラノは3000年の歴史を誇る町である。前述したとおり、紀元後4世紀には、西ローマ帝国の首都になる。また、イタリア統一時にローマに首都が移る前に一時的にイタリア共和国の首都がおかれたこともあった。第2次世界大戦で連合軍側の爆撃被害をうけ70%の建物が喪失した。その復興のため、戦後の技術で建物を建設し、近代的な町並みもある。こうした複雑な背景を持つ都市のため、様々な時代の建物が混在している。

 まず向かったのは、ミラノ市役所前の広場である。ここにはレオナルド・ダビンチ像も建っている。そこから、ギャラリーを通ってドゥオーモにいく。ミラノには前も来ていたが、このギャラリーは高級店が集まるアーケード街としか認識していなかった。しかし、イタリアのトリノを中心とするサルディニア王国のエマニエル2世がイタリア統一を果たした時に、ミラノがそれを記念して作った凱旋門的な意味のある建造物である。

 ドゥオーモは、白っぽい大理石をふんだんに使ったゴシック様式の巨大構造物であり、バチカンに次いで世界で2番目に大きな聖堂である。前に来たときは真っ黒な汚れた建物との印象があったのだが、清掃や改修が進み、美しい白い外観を見せていた。外壁には多くの像がかざられ、3000に達するという。最も高い尖塔にはマリア像が飾られている。
 
 内部に入ると、美しいモザイクがある。ただし、このモザイクの年代はまちまちである。正面の後陣のさらに上に赤く光った場所がある。これは、聖ヘレナがパレスチナから持ち帰ったという、キリストが十字にうちつけた釘を祀ってある場所の印という。ジェノヴァの聖ヨハネの骨といい、ヴェネチアの聖マルコの遺骸といい、このミラノのこの釘といい、イタリアの大聖堂にはとてつもないものが存在する。あるいは、存在することになっている。

 ドゥオーモ見学を終了したことで、30分という短い時間であるが、自由時間が与えられた。女の子たちは早速買い物にでかけていた。

 
 

 
 

(スフォルツェスコ城)

 中世ミラノの支配者は、ヴィスコンチン家であった。そして、その傭兵隊長であったスフォルツェ家がヴィスコンチンにとって代わって、ミラノの支配者となった。その居城が、スフォルツェコス城である。ここは、いくつか美術館が存在するが、われわれは、考古学博物館にある「ロンダニーニのピエタ」を見に行くことにした。

 これは、ミケランジェロの作品であり、彼が80歳の時に作ったものであるが、完成せずに終わった。非常に奇妙な作品である。ピエタは、横たわった死せるキリストを聖母マリアが抱いているものが多い。しかし、この作品ではイエスの上にマリアが位置し、イエスの肩を抱いている縦向けの構図である。川島先生は、この構図を見て、マリアがイエスを引き上げているようには見えず、死せるイエスが生きているマリアを背負っているように見えるので、イエスによる人類救済を象徴した作品ではないかと解釈していた。

 それにしても、奇妙なところが多い。もともとのイエスは現在の場所よりも前に構成されていたに違いない。それを残された右腕の部分が証明している。イエスの頭はマリアの肩の部分を利用して彫り直されている。そして、マリアの顔も頭の部分に彫りかけの別の頭が見える。単なる失敗作を途中で放棄しただけなのか、あるいは、今後完成する意図があり、特別な作業をしかけている途中なのか、今となっては分からない。

 聖マリアファミリア・デラ・グラチェ教会に「最後の晩餐」を見に行く時間が迫っていたので、スフォルツエコス城ではほとんど時間を使うことができなかった。

 
 スフォルツェ城
 
 ロンダニーニのピエタ
 

 
 
   
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