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やすんごのギリシャ・イタリア紀行(その41)
ダビンチの最後の晩餐
   

(レオナルド・ダビンチの最後の晩餐)

 ミラノのサンタマリア・デレ・グラーチエ教会にレオナルド・ダビンチの描いた「最後の晩餐」の壁画が残されている。

 隣にあるドミニカ修道院は、辻仁成の小説「情熱と冷静のあいだ」の冒頭にでてくるカエルの置物のある噴水がある。この教会、修道院は、レオナルド・ダビンチの最後の晩餐を含めて、全体が世界遺産となっている。
 
 レオナルド・ダビンチの最後の晩餐は、テンペラ画である。漆喰が乾くまでに素早く書かなければならないフレスコ画とは違い、卵を使ってじっくり時間をかけて描くことができる。しかし、剥落など保存に弱いとされており、最後の晩餐も非常に傷みが激しい。このため長年にわたり補修が繰り返されてきた。後世の補修により本来の絵がわからなくなってしまったぐらいである。

 また、この絵は連合軍の爆撃にもあっている。1943年8月の米軍によるミラノの空爆によりこの教会も被弾を受け、壁画の描かれた食堂の屋根は破壊されてしまった。しかし、壁画だけは奇跡的に残ったという歴史がある。その後、壁画は野ざらしのまま土嚢だけで保護されるという信じられないような状態におかれていた。戦後、屋根も含めて修復され、やはり絵画の損傷は顕著であった。

 20世紀末に行われた最後の補修では、後世に修復した後を洗い流して、本来の絵を見ることができるようにする形で補修が行われることになった。

 私は、1996年にこの教会を訪問して最後の晩餐を見た記憶がある。補修前である。壁にぼんやりと絵が描いてあるが、色も退色しており、全体に白っぽい絵であった印象が残っている。すごい絵であることは理解していたのだが、実際に見て少し幻滅したというのが正直なところであった。今回は長期にわたる修復を経て、どのような形でよみがえっているのか期待があった。

(厳重な管理と入場制限)

 「最後の晩餐」の鑑賞は、完全な事前予約制になっている。このため、ミラノで突然にこの教会を訪ねても絵を見ることはできない。

 1回につき25人のグループが15分見ることできる。完全入れ替え制である。10分前まで受け付けてもらい、待合室で待っていると、5分ほど前に突然自動ドアが開いて次の部屋に誘導される。最後の晩餐がある部屋まで、監視用のテレビカメラ付きの自動開閉トビラが3つほどある。エアロック的に全員次の部屋に移動して、後ろのドアを閉めてから前のドアを開けるなど、セキュリティが非常に厳しい。

 最後のトビラの前でまっていると、やがて12:30という私たちの予約時間になった。すると、前の組が部屋から退出していくのが見えた。完全に空室になってからドアが開き、私たちの番だ。
 
 ドミニカ修道院の庭からみたサンタマリア・デレ・グラーチエ教会
 

(最後の晩餐の絵の感想)

 最後の晩餐がある部屋は、かなり大きめの部屋だ。修道士たちが、全員そろって食事をする食堂で使っていたからだ。その部の一面を大きく使ってこの壁画が描かれている。ドアが開くと、みんな一斉に一番絵に近づける手すりのところまで行って、見学を始める。

 絵の内容は改めて説明するまでもないが、キリストが12人の弟子と一緒に食事をしている最中に、この中に私を裏切る人間が一人いると宣言して、弟子が驚く劇的な瞬間を絵にしたものである。

 真ん中にイエスがいて、その左右に6人ずつ配置し、さらにその6人は、3人ずつ2つの集団にして、全体のバランスをとっている。一番重要なのは、向かってイエスの左に位置する3人である。ヨハネ、ユダ、ペテロの3人が重なって描かれている。ヨハネは若く、後で述べるが、女性のようにも見える。顔が黒く、手に金貨の入った袋を握りしめているのがユダなのですぐ分かる。ペテロは驚いた表情を浮かべている。

 この絵にまつわる謎は、ユダの背中に見える短剣を握りしめた手が誰のものかという点である。定説はペテロということになっているようだが、非常に不自然な角度に手が折り曲がらないとならないし、ペテロの手が自然にあるべき場所には茶色く手にも見えるものがある。ダビンチは遅筆で、書き足し、書き直しながら絵を完成していったというから、修正忘れか作業途中という可能性もあるのではないかと思う。

 私は、むしろ食卓の上に何が並んでいるのかがとても気になってしまった。透明なガラス製のコップに茶色の液体が半分ほど入ったものが並んでいる。紀元1世紀に現在とほぼ同じようなコップがあることに驚くが、これはワインだろう。茶色の丸いものがところどころに置かれている。きっとパンであろう。イエスの前の皿はからっぽだが、右にある皿には魚が丸ごと乗っている。魚のスペルは、「イエスキリスト、神の子、救い主」の頭文字というから、象徴的に書いているのだと思う。

 ただ、最前列でみると、やはり顔料のはく離など絵の傷み方に目がいってしまう。修復して改善しているのだとは思うが、過去の損傷がひどかったのだと改めて思う。そして、一度に見る人数を25人に制限しているのも、この部屋の温度や湿度(人間の吐く息や発汗)による影響を最小化するための措置なのだろうと思う。

 もう少し後ろに下がって全体の絵を眺めてみることにした。

 すると、一点透視法による効果が非常に顕著な絵であることがわかる。天井、壁、机などのすべての直線が、イエスの頭部を消失点として集まっていく。すなわち、イエスに鑑賞者の注目を最大限に集めるテクニックだ。

 近くでみた時に気になったテキスチュアの乱れは、ある程度遠くから見ると全く気にならず、むしろ、ダビンチ特有の微妙な陰影による立体表現がいきいきと目に飛び込んでくる。伏し目がちのどこか悲しげなイエスの表情の豊かさ、それに対して、驚き、おそれを表す厳しい表情で体の動きもダイナミックに表現されている弟子たちのコントラスト、すべてが計算され尽くしている絵である。

 この食堂には反対の壁にイエスが他の2人のどろぼうと一緒に3人で磔になっている絵が描かれている。同じ時代のそれなりの優れた画家の作品であると思うが、両方の絵を見比べると「最後の晩餐」は、遠近法、色遣いを含め、非常に先進的な技法と優れたテクニックを駆使して描かれた絵であるのかが理解できる。

 20年以上前に見た時とは、全く違う印象を持つことできて、本当によかったと思う。今回の旅行の最後を飾るのにふさわしい体験であった。

 
 
最後の晩餐の絵画への入り口 

 
 
   
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